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「十戒」(正教会とプロテスタント)

1 我のほかなにものをも神とするなかれ

2 なんじ、おのれのために、上は天にあるもの、下(しも)は地にあるもの、また地の下(した)の水の中にあるものの形に似せて偶像をつくり、これにひれ伏し仕うるなかれ
3 なんじの神(かみ)主(しゅ)の名をみだりに言うなかれ

4 なんじ安息日(あんそくにち)を聖として忘るるなかれ

5 なんじ父と母とを敬え

6 なんじ殺すなかれ

7 なんじ姦淫するなかれ

8 なんじ盗むなかれ

9 なんじ偽りの証しを立つるなかれ

10 なんじむさぼるなかれ


『日本聖公会 文語祈祷書(1959年版)』より
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「十戒」(カトリック)

1 わたしは、あなたの主なる神である。わたしのほか、誰をも神としてはいけない

2 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない

3 あなたは、安息日(あんそくじつ)を聖とせよ

4 あなたは、父母(ちちはは)を敬いなさい

5 あなたは、殺してはならない

6 あなたは、姦通してはならない

7 あなたは、盗みをしてはならない

8 あなたは、偽証してはならない

9 あなたは、他人の妻に想いをかけてはならない

10 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない


『カトリック祈祷書 祈りの友』より

「十戒」(カトリック文語)

【天主の十戒】

1 われはなんじの主なり。われを唯一の天主として礼拝すべし。

2 なんじ、天主の名をみだりに呼ぶなかれ。

3 なんじ、安息日(あんそくじつ)を聖とすべきことをおぼゆべし。

4 なんじ、父母を敬うべし。

5 なんじ、殺すなかれ。

6 なんじ、かんいんするなかれ。

7 なんじ、盗むなかれ。

8 なんじ、偽証するなかれ。

9 なんじ、人のつまを恋(こ)うるなかれ。

10 なんじ、人の持ち物をみだりに望むなかれ。


カトリック中央協議会編『公教会祈祷書』

十戒(じっかい)とは?

十戒(十誡、じっかい)とは、神からモーセに与えられたとされる10の戒律のことです。『聖書』の「出エジプト記20章3節から17節」、「申命記5章7節から21節」に書かれています。

エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を神に啓示を受けたモーセが導き、シナイ山で十戒のしるされた石版を授かります。ヘブライ語では「 עשרת הדיברות‎」と表されます。


カトリックとプロテスタントでは十戒が異なっています。

「十戒」(カトリック)

「十戒」(カトリック文語)

「十戒」(正教会とプロテスタント)

「アタナシウス信条」(ルーテル教会)

  1. 救われたいと願う者はみな、すべてのことに先立って、公同の信仰を保つことが必要である。
  2. この信仰を完全に、汚すことなく守るのでなければ、疑いもなく、永遠に滅びる。
  3. 公同の信仰とは、唯一の神を三位において、三位を一体においてあがめ、
  4. 位格を混同せず、本質を分離しない信仰である。
  5. 父の位格、子の位格、聖霊の位格はそれぞれ異なる。
  6. しかし、父と子と聖霊の神性は一、栄光は等しく、尊厳は永遠。
  7. 子と聖霊は父と同じである。
  8. 父は造られたものでなく、子も造られたものでなく、聖霊も造られたものではない。
  9. 父は測り知れず、子も測り知れず、聖霊も測り知れない。
  10. 父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠。
  11. しかも永遠なものは、三でなく一。
  12. 造られないものが三あるのでないように、測り知れないものも三あるのではなく、造られないもの、測り知れないものはただ一つ。
  13. 父は全能、子も全能、聖霊も全能。
  14. しかも全能なものは、三でなく一。
  15. このように、父は神、子も神、聖霊も神。
  16. しかも、神は三ではなく一。
  17. このように、父は主、子も主、聖霊も主。
  18. しかも主は三ではなく一。
  19. キリスト教の真理によって、それぞれの位格を、個別に神であり、主であると告白することが求められており、三神三主について語ることを、公同の信仰によって禁じているからである。
  20. 父はなにものから成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
  21. 子は父からのみ生まれたのであって、成ったのでも、造られたのでもない。
  22. 聖霊は父と子から出るものであって、成ったのでも、造られたのでも、生まれたのでもない。
  23. だから、父は一であって三ではなく、子も一であって三ではなく、聖霊も一であって三ではない。
  24. また、この三位一体においては、どれが先でどれが後、どれが大でどれが小ということはない。
  25. むしろこの三位格はみな、ともに永遠で、同等である。さきに述べたとおり、すべてをとおして、三位が一体において、一体が三位においてあがめられるのである。
  26. それゆえ、救われたいと願う者はみな、三位一体について、そのように信じなければならない。
  27. さらに、われわれの主イエス・キリストの受肉についても、正しく信じることが、永遠の救いのために必要である。
  28. 正しい信仰とは、われわれの主イエス・キリストが神の子であって、神であり人であることを、われわれが信じ告白することである。
  29. 神であるというのは、すべの世に先立って父の本質から生まれたことであり、人であるというのは、この世に母の本質から生まれたことである。
  30. キリストは完全な神であり、完全な人であって、理性的な魂と人間の肉をとっていて、
  31. 神性にしたがえば父と等しく、人性にしたがえば父より小さい。
  32. 神であり人であっても、ふたりのキリストではなく、ひとりのキリスト。
  33. 神性が肉に変わったからではなく、神のうちに人性をとったから、ひとりのキリスト。
  34. 本質の混同によってではなく、位格が一であるから、ひとりのキリスト。
  35. 理性的な魂と肉とがひとりの人となるように、神と人とがひとりのキリストになっている。
  36. キリストは、われわれの救いのために苦しみを受け、よみに下り、死人の中から復活し、
  37. 天に昇り、父の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばく。
  38. 主が来ると、すべての人はからだをもって復活し、おのおの自分の行いについて申し開きをするのである。
  39. 善を行なった人は永遠のいのちに入り、悪を行なった人は永遠の火に入る。
  40. これが公同の信仰である。これを忠実に、また確実に信じる者でなければ、救われることはできない。


ルーテル教会信条集より

「アタナシウス信条」(東京基督教研究所訳)

  1. おおよそ救われんと願う者は、すべてのことに先立ちて、公同の信仰を堅持すること肝要なり。
  2. この信仰を欠くることなく、乱す事なく守るものにあらざれば、必ずや永えに亡ぶべし。
  3. 公同の信仰とは是なり。即ち、我等は一なる神を三位に於て、三位を一体に於て礼拝す。
  4. されど三位を乱さず、本質を分たず。
  5. そは御父に一位あり、御子に一位あり、御霊に一位あればなり。
  6. されど御父と御子と聖霊の神たることは皆同じ、その栄光は等しく、その神威の永えなるもまた等し。
  7. 御父の然かあり給う如く、御子も然かあり、聖霊もまた然かあり給う。
  8. 御父も創造られず、御子も創造られず、聖霊も創造られず。
  9. 御父も量り難く、御子も量り難く、聖霊も量り難し。
  10. 御父も永遠なり、御子も永遠なり、聖霊も永遠なり。
  11. されど三つの永遠なるものにあらず、一つの永遠なるものなり。
  12. 三つの創造られざるものにあらず、三つの量り難きものにもあらず、一つの創造られざるなるもの、一つの量り難きものなり。
  13. 御父も全能なり、御子も全能なり、聖霊も全能なり。
  14. されど全能なるものは三つにあらず、全能なるものは一つなり。
  15. 御父も神なり、御子も神なり、聖霊も神なり。
  16. されど三つの神にあらず、一つの神なり。
  17. 御父も主なり、御子も主なり、聖霊も主なり。
  18. されど三つの主にあらず、一つの主なり。
  19. そは基督教の真理によれば、三位を各々神また主と告白せざるを得ざればなり。
  20. されば公同の信仰によれば、三つの神、三つの主ありというを禁ぜられたり。
  21. 御父は何ものよりも成らず、創造られず、生まれざるなり。
  22. 御子はただ御父よりのものにして、成らず、創造られず、生まれたるなり。
  23. 聖霊は御父と御子とよりのものにして、成らず、創造られず、生まれず、出づるなり。
  24. 故に、一つの御父あり、三つの御父あるにあらず、一つ御子あり、三つの御子あるにあらず、一つの聖霊あり、三つの聖霊あるにあらず。
  25. この三位には先なるものなく、後なるもなし、大なるもなく、小なるもなし。
  26. 三位は皆ともに永えにして、ともに等しきなり。
  27. されば、にいえる如く、凡てに於て、一体は三位において、三位は一体において礼拝せらるべきなり。
  28. 故に救われんと願う者は、三位一体をかくの如きものと識らざるべからず。
  29. されど、限りなき救に至らんがためには、我等の主イエス・キリストの受肉をも、真実に信ずること肝要なり。
  30. そは、正しき信仰は、神の御子たる我等の主イエス・キリストの神にて、人たることを信じて告白することなればなり。
  31. 神というは、御父の本質にして、万世の前に生れ、人というは、母の本質にして、この世に生まれ給えることなり。
  32. げに全き神にして全き人、霊魂と肉体とを備え給えり。
  33. その神たることにつきては、御父に等しく、その人たることには御父の下にあり。
  34. 神にして人なりというも、二つにあらず、ただ一つのキリストなり。
  35. その一なるは、本質を肉に変んぜしによるにあらず、神に人性をとり給えるによるなり。
  36. その全く一なるは、本質の混淆によるにあらず、各位の一なるによるなり。
  37. そは霊魂と肉体とにて一つの人なるが如く、神と人とにて一つのキリストなればなり。
  38. キリストは我等の救のために苦難を受け、陰府に下り、三日目に死ねる者のうちにより甦り、
  39. 天に昇りて全能の父なる神の右に坐し給う。
  40. 彼処より来りて、生ける者と死ねる者とを審き給わん。
  41. その来り給う時、凡ての人その身体もて甦り、
  42. 各々その業につきて事由を述ぶべし。
  43. かくて、善を行いし者は永遠の命に入り、悪を行いし者は永遠の火に入るべし。
  44. これすなわち公同の信仰にして、これを忠実に且つ確実に信じる者にあらざれば、救われること能わざるなり。


(東京基督教研究所訳)

アタナシウス信条とは?

アタナシウス信条とは、父・子・聖霊の三位一体を厳密に告白しています。

詳しい成立の過程は不明ですが、5~6世紀頃に西方教会で使われていたと考えられています。

信条として登場するのは11世紀に入ってからのことです。

アタナシウスという名称は、4世紀に活躍した神学者アタナシオス(Athanasios、298年~373年5月2日)からきています。アタナシウスは、第1回ニケア公会議で三位一体論の形成に寄与した人物です。

したがって、アタナシウス主義(父・子・聖霊の三位一体)をくむこの信条が「アタナシウス信条」と言われています。


「アタナシウス信条」(ルーテル教会)

「アタナシウス信条」(東京基督教研究所訳)

「ニカイア信条」(東京基督教研究所訳)

我等は、全ての見ゆるものと見えざるものとの創造者にして、全能の父なる唯一の神を信ず。

我等は、唯一の主イエス・キリストを信ず。主は神の御子、父より生れ給いし独り子、即ち御神の本質より出で給いし者、神の神、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生れ、御父と本質を一つにし、天にあるものも地にあるものも万のものこれによりて造られたり。主は我等人類のためにまた我等の救いのために降り肉体を受け人となり、苦難を受け、三日目に甦り、天に昇り給い、生ける者と死ねる者とを審かんために来り給わん。

我等は聖霊を信ず。

主の在りし給わざりし時あり、生れざれし前には在さず、また、在らざるものより造られ給いたりといい、異なる存在、また本質より成り、(造られしもの)神の変じ化へ得べき子なりと言う者、かかる者等を公同なる使徒的教会は呪うべし。


「ニカイア信条」東京基督教研究所訳

「ニカイア信条」(原ニケア信条325年)

我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、
すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。

我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、神からの神、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。
主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。


また我らは聖霊を信ず。

主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、
また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。


原ニケア信条325年

「ニカイア信条」(ルーテル教会)

天と地と、すべての見えるものと見えないものの造り主、全能の父である唯一の神を私は信じます。

唯一の主 イエスキリストを私は信じます。主は神のひとり子であって、すべての世にさき立って父から生まれ、神の神、光の光、まことの神のまことの神、造られたのではなく、生まれ、父と同質であって、すべてのものは主によって造られました。主は私たち人間のため、また私たちの救いのために天から下り、聖霊により、おとめマリヤから肉体を受けて人となり、ポンテオ・ピラトのもとで私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書のとおり三日目に復活し、天に上られました。そして父の右に座し、栄光のうちに再び来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。その支配は終わることがありません。

主であって、いのちを与える聖霊を私は信じます。聖霊は父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられます。また、預言者をとおして語られました。

唯一の、聖なる、公同の、使徒的な教会を私は信じます。

罪のゆるしの唯一の洗礼を私は受けいれます。死人の復活と来たるべき世のいのちを待ち望みます。


ルーテル教会礼拝式文より

「ニカイア信条」ギリシャ語

Πιστεύομεν εις ΄ενα Θεον Πατερα παντοκράτορα, πάντων ορατων τε και αοράτων ποιητήν.

Πιστεύομεν εισ ΄ενα κύριον `Ιησουν Χριστον, τον υ΄ιον του θεου, γεννηζέντα εκ του πατρος μονογενη, τουτέστιν εκ της ουσίας του πατρός, θεον εκ θεου αληθινου, γεννηθέντα, ου ποιηθέντα, ΄ομοούσιον τωι πατρί δι οϋ τα πάντα εγένετο, τα τε εν τωι ουρανωι και τα επι της γης τον δι ΄ημας τους ανθρώπους και δα την ΄ημετέραν σωτηρίαν κατελθόντα και σαρκωθέντα και ενανθρωπήσαντα, παθόντα, και αναστάντα τηι τριτηι ΄ημέραι, και ανελθοντα εις τους οθρανούς, και ερχόμενον κριναι ζωντασ και νεκρούς.

Και εις το ΄Αγιον Πνευμα.

Τους δε λέγοντας, ΄οτι ΄ην ποτε ΄ότε οθκ ΄ην, και πριν γεννηθηναι ουκ ΄ην, και ΄οτι εξ ΄ετερας ΄υποστάσεως η ουσιας φάσκοντας ειναι, [η κτιστόν,] τρεπτον η αλλοιωτον τον υ΄ιον του θεου, [τούτους] αναθεματίζει ΄η καθολικη [και αποστολικη] εκκλησία.


「ニカイア信条」ギリシャ語

ニカイア信条とは?

ニカイア信条とは、第1ニカイア公会議(325年)において採択されたキリスト教の信条の一つです。ニカイア信経(しんきよう)や原ニケア信条(げんにけあしんじょう)と呼ばれることもあります。

この信条は、公式のキリスト教の会議によって採択された最初の信条です。
もある。なお原ニケア信条とは、ニカイア・コンスタンティノポリス信条にニケア信条の名を用いる教派での呼称である。

ニカイア信条の中で、「父」と「子」は「同質(ギリシャ語:ホモウーシオス)」という表現になりました。この出来事は、『聖書』にない言葉がキリスト教の教義の中に取り入れられた画期的なものです。

後に、ニカイア信条(ニケア信条)に聖霊・教会・死者の復活についての教義の付け加えられたニカイア・コンスタンチノポリス信条が完成します。


「ニカイア信条」(原ニケア信条325年)

「ニカイア信条」(ルーテル教会)

「ニカイア信条」(東京基督教研究所訳)

「ニカイア信条」ギリシャ語

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(日本ハリストス正教会訳)

我信ず、一(ひとつ)の神・父、全能者、天と地、見ゆると見えざる万物を造りし主を。
又信ず、一の主イイスス・ハリストス、神の獨生の子、万世《よろづよ》の前に父より生まれ、光よりの光、真(まこと)の神よりの真の神、
生まれし者にして造られしに非ず、父と一体にして万物彼に造られ
我等人々の為、又我等の救(すくい)の為に天より降り
聖神(せいしん)及び童貞女マリヤより身を籍(と)り人と為り
我等の為にポンティイ・ピラトの時、十字架に釘うたれ苦しみを受け葬られ
第三日に聖書に叶て復活し、天に升り父の右に坐し、
光栄を顕して生ける者と死せし者とを審判する為に還た来り、その国、終りなからんを。
又信ず、聖神、主、生命(いのち)を施す者、父より出で、父及び子と共に拝まれ讃められ、預言者を以て曽て言いしを。
又信ず、一の聖なる公(おおやけ)なる使徒の教会を
我認む、一の洗礼、以て罪の赦《ゆるし》を得るを。
我望む、死者の復活、並びに来世の生命を。
アミン。


[編集] 日本ハリストス正教会の訳文

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(カトリック)

わたしは信じます。唯一の神、
全能の父、
天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と
来世のいのちを待ち望みます。
アーメン。


日本カトリック司教協議会

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ラテン語)

Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.

Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula. Deum de Deo, Lumen de Lumine, Deum verum de Deo vero, genitum non factum, consubstantialem Patri; per quem omnia facta sunt. Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de caelis. Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est. Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est, et resurrexit tertia die, secundum Scripturas, et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Patris. Et iterum venturus est cum gloria, iudicare vivos et mortuos, cuius regni non erit finis.

Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre Filioque procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi. Amen.


ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ラテン語)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ギリシャ語)

Πιστεύω είς ενα Θεόν, Πατέρα, παντοκράτορα, ποιητήν ουρανού καί γής, ορατών τε πάντων καί αοράτων.

Καί είς ενα Κύριον, Ίησούν Χριστόν, τόν Υιόν του Θεού τόν μονογενή, τόν εκ του Πατρός γεννηθέντα πρό πάντων τών αιώνων. Φώς εκ φωτός, Θεόν αληθινόν εκ Θεού αληθινού γεννηθέντα, ού ποιηθέντα, ομοούσιον τώ Πατρί, δι’ ού τά πάντα εγένετο. Τόν δι’ ημάς τούς ανθρώπους καί διά τήν ημετέραν σωτηρίαν κατελθόντα εκ τών ουρανών καί σαρκωθέντα εκ Πνεύματος ‘Αγίου καί Μαρίας τής Παρθένου καί ενανθρωπήσαντα. Σταυρωθέντα τε υπέρ ημών επί Ποντίου Πιλάτου καί παθόντα καί ταφέντα.

Καί αναστάντα τή τρίτη ημέρα κατά τάς Γραφάς.

Καί ανελθόντα είς τούς ουρανούς καί καθεζόμενον εκ δεξιών τού Πατρός.

Καί πάλιν ερχόμενον μετά δόξης κρίναι ζώντας καί νεκρούς, ού τής βασιλείας ουκ εσται τέλος.

Καί είς τό Πνεύμα τό ¨Αγιον, τό Κύριον, τό ζωοποιόν, τό εκ τού Πατρός εκπορευόμενον, τό σύν Πατρί καί Υιώ συμπροσκυνούμενον καί συνδοξαζόμενον, τό λαλήσαν διά τών Προφητών.

Είς μίαν, αγίαν, καθολικήν καί αποστολικήν Έκκλησίαν. ‘Ομολογώ εν βάπτισμα είς άφεσιν αμαρτιών. Προσδοκώ ανάστασιν νεκρών. Καί ζωήν τού μέλλοντος αιώνος.

Άμήν.


ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ギリシャ語)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条とは?

ニカイア・コンスタンチノポリス信条(ニケア・コンスタンティノープル信条)とは、381年に現在のトルコ(イスタンブール)で開かれた第1回コンスタンティノポリス公会議(キリスト教会の会議)で定められた信仰告白です。

ニカイア信条(ニカイア信条)に聖霊・教会・死者の復活についての教義の付け加えられたものです。


ニカイア・コンスタンティノポリス信条(カトリック)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(日本ハリストス正教会訳)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ギリシャ語)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ラテン語)

「主の祈り」ルカによる福音書11章2節~4節(口語訳)

そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。

わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。

わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。


ルカによる福音書11章2節~4節(口語訳)

「主の祈り」ルカによる福音書11章2節~4節(新共同訳)

そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。

わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」


ルカによる福音書11章2節~4節(新共同訳)

「主の祈り」マタイによる福音書6章9節~13節(新共同訳)

だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。

御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』


マタイによる福音書6章9節~13節(新共同訳)

「主の祈り」マタイによる福音書6章9節~13節(口語訳)

だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。


マタイによる福音書6章9節~13節(口語訳)

「The Lord's Prayer(主の祈り)」英語

Our Father in heaven,
Hallowed be Your name.Your kingdom come.
Your will be done
On earth as it is in heaven.
Give us day by day our daily bread.
And forgive us our sins,
For we also forgive everyone who is indebted to us.
And do not lead us into temptation,
But deliver us from the evil one.

Amen


「The Lord's Prayer(主の祈り)」英語

「天主経(主の祈り)」(日本正教会)

天(てん)に在(いま)す我等(われら)の父(ちち)や。

願(ねがはく)は爾(なんぢ)の名(な)は聖(せい)とせられ。

爾(なんぢ)の國(くに)は來(きた)り。

爾(なんぢ)の旨(むね)は天(てん)に行(おこな)はるるが如(ごと)く、 地(ち)にも行(おこな)はれん。

我(わ)が日用(にちよう)の糧(かて)を今日(こんにち)我等(われら)に與(あた)へ給(たま)へ。

我等(われら)に債(おひめ)ある者(もの)を我等(われら)免(ゆる)すが如(ごと)く、

我等(われら)の債(おひめ)を免(ゆる)し給(たま)へ。

我等(われら)を誘(いざなひ)に導(みちび)かず、

猶(なほ)我等(われら)を凶惡(きょうあく)より救(すく)ひ給(たま)へ。

蓋(けだ)し國(くに)と權能(けんのう)と光榮(こうえい)は爾(なんじ)父(ちち)と子(こ)と聖神(せいしん)に歸(き)す、 今(いま)も何時(いつ)も世々(よよ)に。

アミン


日本正教会の「天主経(主の祈り)」

「主の祈り」(カトリック文語訳)

天にまします我らの父よ

願わくは み名の尊まれんことを

み国の来たらんことを

み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを

我らの日用の糧を今日我らに与え給え

我らが人に許す如く我らの罪を許し給え

我らを試みにひきたまわざれ

我らを惡より救い給え

アーメン


カトリック文語訳

「主の祈り」(教会音楽祭委員会訳)

司式者: 天の父

一同: わたしたちの父よ。

み名があがめられますように。

あなたの国が来ますように。

みこころが、 天と同じく地でも行われますように。

きょうのパンを きょうお与え下さい。

わたしたちの負い目をおゆるし下さい。

わたしたちも負い目をゆるし合います。

わたしたちを誘惑におちいらせず、 かえって、悪からお救いください。

国も力も栄えも 限りなくあなたのものです。

アーメン


教会音楽祭委員会訳

「主の祈り」(日本キリスト教協議会訳)

天の父よ み名があがめられますよう。

み国が来ますように。

みこころが天で行われるように 地上でも行われますように。

わたしたちに今日も この日のかてをお与え下さい。

わたしたちに罪を犯した者を ゆるしましたから、

わたしたちの犯した罪を おゆるし下さい。

わたしたちを誘惑から導き出して 悪からお救い下さい。

み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。

アーメン


日本キリスト教協議会(NCC)訳

「主の祈り」(プロテスタント文語訳)

天にまします我らの父よ

願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ

御国(みくに)を来(き)たらせたまえ

み心の天に成る如く地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を今日も与えたまえ

我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ

我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり

アーメン


プロテスタント文語(1880年訳)

「主の祈り」(カトリック/聖公会共通訳)

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。

アーメン


(ローマ・カトリック教会/日本聖公会共通口語訳)

主の祈り(しゅのいのり)とは?

主の祈り(しゅのいのり)とは、イエス・キリストが、「祈るときは……(中略)……こう祈りなさい」と言って弟子たちに教えてくださった祈り(祈祷文)です。

この祈祷文をイエスが弟子たちに教えるシーンが『聖書』の「マタイによる福音書6章9節~13節」、「ルカによる福音書11章2節~4節」にしるされています。*口語訳のマタイルカはこちらをクリックしてください。

教会では、イエスが教えられた祈りであることから「祈りの中の祈り」と言われています。


あなたも主の祈りを唱えましょう。

「主の祈り」(日本キリスト教協議会訳)

「主の祈り」(プロテスタント文語訳)

「主の祈り」(カトリック/聖公会共通訳)

「主の祈り」(カトリック文語訳)

「主の祈り」(教会音楽祭委員会訳)

「天主経(主の祈り)」(日本正教会)

「The Lord's Prayer(主の祈り)」英語

「使徒信条」日本語(口語)

天地の創造主、全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って全能の父である神の右の座に着き、生者(せいじゃ)と死者を裁くために来られます。

聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

アーメン


日本カトリック司教協議会
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Anakin Skywalker

Author:Anakin Skywalker

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(『聖書』テサロニケの信徒への手紙II 5:16~17より)

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